The Plum blossoms of Sankeien Garden 解説「三渓園の梅」

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三渓園の梅


 三渓園は、明治39年の開園当初から梅の花の名所として知られました。
 その理由は、江戸時代から梅の名所として知られた次の著名梅林から名木を移植したからなのです。

東京蒲田梅林
 江戸名所図会にも描かれているように蒲田の周辺一帯に梅林が広がっていました。その中を東海道が通っていましたので、茶店も諸所に在り、特に花の咲く頃には大賑わいであったとの事です。12代将軍徳川家慶は鷹狩の時に、14代将軍家茂は、上洛の折に花と香を楽しまれました。
 明治天皇は、9回も訪れています。その後、この地域は、次第に工場や住宅地となり、景観は大きく変貌してしまいました。 ただ京浜急行線にかつて梅園が有ったという事を思わせる”梅屋敷”と云う名称の駅が有ります。
 この駅とJR蒲田駅の間に明治天皇が再々お越しになられたことを記念して狭いながらも”聖蹟梅屋敷公園”があり、往時を偲ぶ事が出来ます。

川崎小向梅林
 江戸時代寛文年間(1661~1673)に植えられ、数十年後には梅の花の名所となり、遠方からも梅見客が数多く訪れるようになりました。
 明治9年、成島柳北がここを訪れ、朝野新聞に”小向探梅記”なる文を掲載したことで小向に足を運ぶ人の数が急増したとのことです。
 明治17年3月19日の明治天皇が騎馬にてご光来。益々知名度上昇しました。
 それから程なく明治天皇が訪れた梅林の梅の木も老木となり年々梅の実の収穫が減少、近々伐採との事を耳にし、三渓園移植となりました。

杉田梅林
 安土桃山時代、天正年間(1573~1592)この地の領主間宮信繁は、この辺りの土壌は米穀には向いていないので梅の実の栽培に力を入れるようにと梅の木を植えるよう勧めました。梅の実からの収穫の方がよろしいとの事で梅の木があたり一帯に植えられ梅の花の時期には美しい花が見事に咲き、広重が描き、酒井抱一が「これはこれはここをや花の吉野山」なる俳句を残しました。
 よって花の咲く時期には、数多くの一般の梅見客を始め、著名な文人墨客も数多く訪れるようになりました。 佐藤一斉、清水浜臣など著名な儒者なども訪れ、文化4年(1807)其々が「杉田観梅記」、「杉田日記」を出版、これが大評判にて、江戸からの花見の人の数が増えたとのことです。
 英照皇太后と昭憲皇太后のお二方は、明治17年3月19日と同19年3月21日の2回お出でになられ、杉田妙法寺の養老梅などの名木を観賞されました。
 文学者としては、泉鏡花、大町桂月、伊藤佐千夫、田山花袋等が訪れています。

 三渓園観梅会特別講演会資料より




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